Vol. 4

信濃町でゼロからはじめた「らんぷ屋工房&カフェ」。地域とともに歩んだ25年の道のり

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春、新芽が芽吹き始めるころ、雪解け水がキラキラ輝き、
夏には心地よい山風が吹きぬけ、青々とした草木が生い茂る。
秋には窓から望むカラ松が、温かな日差しを浴びて金色に染まり、
冬は足跡ひとつない、真っ白な雪原が広がる。

そんな四季折々の風情が感じられる、長野県信濃町の1軒のカフェ。
標高850メートルの山のなか、「らんぷ屋工房&カフェ」は25年前にオープンしました。

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マロンティラミス

お店のおすすめは、旬の素材を使った季節のケーキ。
長野県小布施の栗を使ったマロンティラミスは、ほどよい栗の甘さが引き立ち、チーズのなめらかなクリームが口の中でやさしくとろけます。

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お店を運営するのは、横田さんご家族。なんでも25年前に、それまで住んでいた茨城から、知り合いひとりいない信濃町に一家で移住されたそう。
なぜこの場所でカフェを営むことになったのか、ご家族のひとり、横田愉美(よこたよしみ)さんにお話しをうかがいました。

水道がない。前途多難の移住生活

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ー まずはじめに、信濃町に移住された経緯をうかがえますか?

愉美さん 私の父はプロスキーヤーで、長野の志賀高原のスキー場で働いていたんです。そこで母と出会って結婚をしたんですが、「志賀高原が見えるところで暮らしたいね」と、よく調べもせずにこの土地を買っちゃって(笑)。そのあと、私たち子ども3人を連れて、それまで暮らしていた茨城から、長野の信濃町に引っ越してきちゃったんです。

ー かなり大胆なご両親ですね(笑)。

愉美さん それは私がまだ3歳の時でした。両親は最初、家を建てながらアパート暮らしでもしようかと考えていたんですが、いざ借りようとしたら、県内に親戚がいないと、アパートを借りることすらできなかったんです。

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ー 家が借りられなかったんですか?

愉美さん はい。もちろん遠くに親戚もいますし、貯金もありました。それでもこの地域の人たちからは、こんな山のなかにどうして引っ越してきたの? と、不思議がられてしまって。今ではそういったことは少ないと思いますが、当時は全く信用してもらえなかったですね。それで仕方なく家が建つまでの間は、茨城から通うことにしたんです。

ー それほど当時の移住は今よりも厳しかったんですね。

愉美さん でも大変だったのはそれだけじゃなくて、私たちの土地には水道が通っていなかったんです(笑)。

ー 水道が通っていない!?

愉美さん この辺りは地区で水道を管理しているのですが、すぐには水道を通してもらえなくて。それではとても生きていけないので、近くのトウモロコシ屋さんで水をもらう交渉をして、ポリタンクに生活水を溜めて生活をしていたんです。
そうして半年が過ぎて、ようやく私たちが本気でここで暮らすつもりだと信じてもらえて、水道が使えるようになったんです(笑)。

母の手作りのリースが、お店を始めるきっかけに

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ー よく乗り越えられましたね……。

愉美さん はい(笑)。そうやって少しずつ地域の方に認めてもらいながら、母はトウモロコシ屋さんで仕事を手伝うようになりました。
母が私たちと拾った木の実を集めて作ったリースを、トウモロコシ屋さんで飾ってもらったら、次第に売れ始めたんですよ。気づいたらどんどん注文が入るようになって、「あなた、お店やったらいいじゃない」って言われるようになって。

ー 手作りのリースがそんなに人気に。

愉美さん それでトウモロコシ屋さんの隣に、トラックのコンテナを改造したお店を置かせてもらったんです。最初は手作りのドライフラワーやリースと、この地域の作家さんの工芸品を置いて、クラフトショップのようなお店として始めたんですよ。
そうしたら大人気で、今度は自宅のそばでお店を始めようと、コンテナを増築して、家族でこのお店を作ったんです。私も小さいながらに、お手伝いで木を切ったりしてしました(笑)。

カフェから、株式会社らんぷ屋へ成長を遂げる

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ー それで現在カフェはお母さまが経営されて、お父さまは何を?

愉美さん 当時、信濃町にはスキー場はあるけど、スキーを教えられる人がいなくて困っていたんですよね。それで父は引っ越して2年目ぐらいから信濃町でスキースクールを開講したんです。
それから兄がスキースクールの経営を受け継いで、父は今、バス事業をやっています。

ー バス事業?

愉美さん もともと観光用にバス事業をしたいと話していたのもあったんですが、この辺りは、積雪などでお年寄りの方が自由に出かけられなくなってしまうんですよね。そんなときでも気軽に出かけてもらえるように、小型のハイエースとマイクロバスだけで営業できるバス事業を始めたんです。

ー カフェに、スキースクール、バス事業とすごいですね。

愉美さん ただ事業をはじめたのと同時期に、バス会社の法律規制が厳しくなってしまって。その影響で、はじめはかなり経営が苦しかったんですけど、長野に取材で訪れたカメラマンさんが、うちのバスが使えそうだって情報を広めてくれて。
「長野にロケバスをやっている会社が1件もないんだよ」って言われたのもあって、それならと、ロケバス専用のバス会社として経営を始めたんです。そうやって、今は「株式会社らんぷ屋」として、カフェのほかに、スキースクールと、バス事業をしているバラエティに富んだ会社なんです(笑)。

父の実家から受け継いだ、らんぷ屋という名前

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ー そもそも、らんぷ屋という名前の由来はどこから?

愉美さん 父の実家が、”らんぷ屋”という屋号でランプを売る商売をしていたんです。今は廃業してしまったんですけど、昔はすごく豪華なランプを作っていたんですよ。物づくりの意味で「工房」を加えて、「らんぷ屋工房」にしたのが由来です。

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ー 今もカフェの隣で、ランプを売られていますよね?

愉美さん 最初は置いていなかったんですけど、カフェに来たお客様から「らんぷ屋工房なのに、なんでランプ売ってないんだ?」って言われて(笑)。
それならと始めてみたら、結構楽しくって。輸入物のランプを置いたり、九谷焼の窯元に依頼をして、オリジナルのランプを作っていただいたりもしているんですよ。

ー 色々運営するって、大変じゃないですか?

愉美さん 大変だったことほどあんなことあったよね、って笑って話せるんですよ。普通は25年も経っていたら、お店も古ぼけてくるじゃないですか。でも私たちが意識しているのは、ずっと進化し続けることです。芯もちゃんとあるんですけど。ずっと来てくださっている方も、変わっていくことを楽しんでほしいと思っています。

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ー ご家族の仲が良いからこそ、一緒に働けるのだと思いますが、喧嘩はないのですか?

愉美さん しょっちゅうしますよ。キッチンで喧嘩をしても、お客様が来たら何もなかったかのように接客をしたり(笑)。

家族だから許されることもあるけど、家族だからこそ難しいこともあります。家族って他人以上に、縁が切れると冷たいものがあるんですよ。お互いに譲れないことも多いですけど、ここで働く以上、親が上司で、私たちが部下だと心に留めながら働いています。

ー 今後はお店をどのようにしていきますか。

愉美さん 今は最小限のスタッフでお店を営業していますが、これからはどんどん外から人を入れて、人材を育成しつつ、笑顔で活き活きとした環境を作りたいです。
いずれは母体はここに置きつつも、どこか海外でお店ができたら面白いなとも思っているんです。そう言っておけば、またいつか良いチャンスがくるかなって思っています(笑)。

取材を終えて

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次々と発想を広げ、事業を展開している「らんぷ屋工房&カフェ」。

“好きなことを仕事にする”ということは、けして容易いことではありません。失敗を恐れ、発想を形にすることを諦める人も多いなか、横田さんご家族は困難を物ともせずに乗り越えてこられました。

自分の置かれた環境で、求められていることを考え、気づき、それを形にする。その過程を大切にしてきたからこそ、今の「らんぷ屋工房&カフェ」があるのだと思います。
今後お店がどんな形に発展していくのか、とても楽しみです!

暮らしミタ人

横田愉美さん

横田愉美さん

1987年、茨城県土浦市生まれ。長野県の須坂園芸高等学校を卒業後、フランス本社のリゾート会社で3年間勤務していた。趣味は街歩きや、バケーションで海外へ遊びに行くこと。

Writer

五十川 ルリ子
この記事を書いた人
五十川 ルリ子

新潟県在住。食べることやカフェめぐりが大好き。自ら足を運んで惚れ込んだお店や、魅力ある人へ取材をしています。

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